土地収用法における損失補償の基準を解説
土地収用法における損失補償の体系と算定基準を詳しく解説。土地補償(71条)・建物補償(77条〜80条)・残地補償(74条)・営業補償の仕組みから、用対連基準との関係、鑑定評価の活用まで試験頻出論点を網羅します。
土地収用法の損失補償制度の全体像
土地収用法は、公共の利益となる事業のために私有財産である土地等を強制的に取得し、その代償として損失を補償する制度を定めた法律です。損失補償は、憲法第29条第3項が保障する「正当な補償」を具体化するものであり、土地収用制度の根幹をなしています。
損失補償の体系は多岐にわたります。土地そのものの補償にとどまらず、建物等の物件、営業上の損失、残地の価値減少、借地人・借家人の権利など、収用によって生じるあらゆる損失を適正に填補することが求められます。
本記事では、土地収用法に定められた損失補償の各類型と算定基準を条文に即して整理し、実務上重要な「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(用対連基準)との関係、そして補償額算定における不動産鑑定評価の役割を体系的に解説します。損失補償に関する判例や公共事業の補償実務と併せて学習することで、損失補償制度の全体像がより明確になります。
損失補償の基本原則 起業者補償・個別払い・金銭補償
個々の補償項目に入る前に、土地収用法第68条から第70条が定める損失補償の3つの基本原則を押さえておきましょう。この3原則は、すべての補償項目に共通する土台であり、短答式試験でも繰り返し問われる論点です。
起業者補償の原則(68条)
土地の収用・使用によって土地所有者および関係人が受ける損失は、起業者(収用の主体となる事業者)が補償しなければなりません(68条)。補償の義務を負うのは国や収用委員会ではなく、事業の利益を享受する起業者自身であるという点がポイントです。
個別払いの原則(69条)
損失の補償は、土地所有者および関係人に各人別にしなければなりません(69条)。土地所有者と借地権者がいる場合、両者への補償はそれぞれ個別に見積もり、個別に支払うのが原則です。ただし、各人別に見積もることが困難であるときは、この限りでないとされています。
| 原則 | 例外 |
|---|---|
| 土地所有者・借地権者・借家人等に各人別に補償 | 各人別の見積りが困難なときは一括も可 |
個別払いの原則は、権利者間の内部的な配分紛争に起業者を巻き込まず、各権利者の権利価値を直接保護する趣旨です。
金銭補償の原則(70条)
損失の補償は、この法律に特別の定がある場合を除くの外、金銭をもつてするものとする。― 土地収用法 第70条
損失補償は金銭による補償が原則です。後述する替地補償(82条)や耕地・宅地の造成等は、この原則に対する「特別の定」にあたる例外的な現物補償です。
損失補償と損害賠償の違い
損失補償と混同しやすい概念に損害賠償があります。両者の違いは試験対策上も重要です。
| 比較項目 | 損失補償 | 損害賠償 |
|---|---|---|
| 原因行為 | 適法な公権力の行使(収用等) | 違法な行為(不法行為・債務不履行) |
| 根拠 | 憲法29条3項・土地収用法等 | 民法709条・国家賠償法等 |
| 趣旨 | 特別の犠牲に対する公平負担の調整 | 違法行為による損害の填補 |
| 対象 | 財産的損失が中心 | 財産的損害+精神的損害(慰謝料) |
損失補償は適法行為に基づく財産的損失の填補であり、精神的損害(慰謝料)は原則として対象に含まれない点も損害賠償との重要な違いです。
土地の補償(71条)
71条の規定内容
土地収用法における損失補償の中核をなすのが、土地の補償を定めた第71条です。
収用する土地又はその土地に関する所有権以外の権利に対する補償金の額は、近傍類地の取引価格等を考慮して算定した事業の認定の告示の時における相当な価格に、権利取得裁決の時までの物価の変動に応ずる修正率を乗じて得た額とする。― 土地収用法 第71条
71条は、補償額の算定について以下の要素を規定しています。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 価格の基準 | 近傍類地の取引価格等を考慮して算定した「相当な価格」 |
| 価格時点 | 事業認定の告示の時 |
| 時点修正 | 権利取得裁決の時までの物価変動に応ずる修正率を乗じる |
この算定構造を数式で表すと次のようになります。
ここで $P_{\text{告示時}}$ は事業認定告示時における相当な価格、$R$ は権利取得裁決時までの物価変動に応ずる修正率です。価格そのものを裁決時に評価し直すのではなく、告示時の価格に修正率を乗じるという構造を正確に覚えてください。
「相当な価格」の意味
71条にいう「相当な価格」とは、収用される土地の客観的な市場価値、すなわち正常な取引価格を意味します。正常価格の考え方に基づき、合理的な市場で成立するであろう価格を基準とするものです。
「近傍類地の取引価格等を考慮して」という文言は、補償額の算定方法を示したものです。対象地と類似する近傍の土地の取引事例を基礎資料として活用し、個別的な要因の比較・補正を加えることで、対象地固有の「相当な価格」を算定します。
この「相当な価格」は、最高裁昭和48年10月18日判決(完全補償説判決)によって、被収用地の客観的な市場価値を完全に補償するものであることが確認されています。市場価格を下回る補償は、憲法29条3項の「正当な補償」を満たさないとする立場です。
取引事例比較法との関係
「近傍類地の取引価格等を考慮して算定」するという71条のアプローチは、不動産鑑定評価における取引事例比較法の考え方と整合しています。
取引事例比較法は、まず多数の取引事例を収集して適切な事例の選択を行い、これらに係る取引価格に必要に応じて事情補正及び時点修正を行い、かつ、地域要因の比較及び個別的要因の比較を行って求められた価格を比較考量し、これによって対象不動産の試算価格を求める手法である(この手法による試算価格を比準価格という。)。― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節
補償実務では、事業の影響を受けていない近傍類地の取引事例を収集・選択し、事情補正・時点修正・地域要因と個別的要因の比較を経て対象地の価格を求めます。このプロセスはまさに取引事例比較法の適用そのものであり、鑑定理論と行政法規が交差する重要な接点です。
価格時点が事業認定告示時である理由
補償額の算定基準時が「事業認定の告示の時」とされている理由は、事業の影響を排除した公正な価格を確保するためです。
事業認定の告示後は、当該公共事業の実施が確定するため、周辺地域の地価に影響が生じます。事業計画による地価上昇(開発利益)を補償額に反映すると、被収用者が不当に利益を得ることになり、逆に事業による地価下落を反映すると、被収用者が不当に不利益を被ります。そこで、事業認定告示時を基準時とし、事業の影響を遮断した時点での価格を補償の基礎とするのです。
ただし、事業認定告示時から権利取得裁決時までの間に一般的な物価変動が生じるため、その差額を修正率によって調整する仕組みが設けられています。この価格固定制は、告示後の投機的な値上がり期待を遮断する機能も有しているとされます。
使用する土地の補償(72条)
土地を収用するのではなく使用する場合(一定期間の使用権を取得する場合)の補償は、72条に定められています。使用の対価は、近傍類地の地代・借賃等を考慮して算定した事業認定告示時における相当な価格に、権利取得裁決時までの修正率を乗じて得た額とされます。
| 比較項目 | 収用(71条) | 使用(72条) |
|---|---|---|
| 取得する権利 | 所有権等そのもの | 一定期間の使用権 |
| 考慮する指標 | 近傍類地の取引価格等 | 近傍類地の地代・借賃等 |
| 価格時点 | 事業認定告示時 | 事業認定告示時 |
| 時点修正 | 修正率を乗じる | 修正率を乗じる |
「収用=元本価格」「使用=果実(地代・借賃)」という対応関係で整理すると記憶に残りやすいでしょう。地下にトンネルを通すために設定される区分地上権に対する補償も、土地の立体利用の制限の程度に応じて算定される点で、使用系の補償と関連の深い論点です。
建物その他の物件の補償(77条〜80条)
移転料補償の原則(77条)
土地の収用に伴い、その土地上に存在する建物やその他の物件についても補償が必要です。建物等の補償の基本原則を定めるのが第77条です。77条は、収用し又は使用する土地にある物件について、移転料を補償して移転させることを原則としています。
建物等に対する補償の基本は、移転料補償です。すなわち、収用される土地上の建物を他の場所に移転するために要する費用を補償するという考え方です。建物そのものの「価格」を補償するのではなく、移転に必要な費用を補償するという点が重要です。土地収用の目的は「土地」を取得することにあり、土地上の物件は本来取得の対象ではないため、物件は移転してもらい、その費用を填補すれば足りるという発想に基づきます。
| 補償の類型 | 内容 | 適用場面 |
|---|---|---|
| 移転料補償 | 建物を他の場所に移転するための費用 | 移転が合理的に可能な場合(原則) |
| 取壊し補償 | 建物の取壊しに伴う損失の補償 | 移転が著しく困難な場合 |
移転工法の種類
実務上、移転料の算定は「どの移転工法が合理的か」の認定(移転工法の検定)から始まります。用対連基準の実務では、概ね以下のような工法が想定されています。
| 移転工法 | 内容 |
|---|---|
| 再築工法 | 従前の建物と同種同等の建物を移転先に新築する(構外再築・構内再築) |
| 曳家工法 | 建物を解体せずそのまま残地内等へ曳行移転する |
| 改造工法 | 建物の一部を切り取り、残部を改造して利用を継続する |
| 復元工法 | 建物を解体し、旧材を用いて移転先に従前と同様の建物を復元する |
| 除却工法 | 移転が不合理な場合に建物を取り壊す |
通常妥当と認められる移転先と工法を前提に、最も合理的(経済的)な工法による費用が補償額となります。被収用者が実際にどの工法を採るかは自由ですが、補償額は合理的工法を基準に算定されます。
取壊し補償と収用請求(78条・79条)
建物の構造、規模、用途等の事情から、移転することが著しく困難である場合には、取壊し補償が行われます。この場合、建物の価値(再調達原価から減価修正を行った額)に相当する額が補償されます。
取壊し補償が適用される典型的なケースとしては、以下のような場合があります。
| ケース | 理由 |
|---|---|
| 鉄筋コンクリート造の大規模建物 | 物理的に移転が困難 |
| 地盤に依存した特殊構造の建物 | 移転先での再現が不可能 |
| 移転先の敷地が確保できない場合 | 移転が現実的に不可能 |
さらに土地収用法は、移転を前提とした補償が機能しない場合の調整として、物件の収用請求の仕組みを設けています。
- 物件所有者からの収用請求(78条): 物件の移転が著しく困難であるとき等には、物件の所有者は、その物件の収用を請求することができます。移転料をもらっても現実に移転できないのであれば、物件自体を買い取ってもらう方が権利者の保護に資するためです。
- 移転料が物件価格を超える場合(79条): 移転料が物件の価格を超えるときなどには、起業者の側から物件を収用する(価格で補償する)ことが認められます。物件の価値以上の移転料を支払うのは経済的に不合理だからです。
「権利者側からの請求=78条」「起業者側の経済合理性=79条」と対で整理しておくと混同を防げます。
その他の物件の補償
建物以外にも、土地上に存在する工作物、立木、その他の物件についても、同様に移転料又はそれに代わる補償が行われます。庭木、門塀、井戸、上下水道の付属設備なども物件補償の対象です。立木は、移植可能な庭木等は移植費用、伐採が相当な用材林等は伐採による損失を基準に補償されるのが実務の取扱いです。
残地補償(74条)
残地補償の仕組み
土地の一部が収用される場合、残された土地(残地)の価値が減少することがあります。この残地の価値減少に対する補償を定めたのが第74条です。
同一の土地所有者に属する一団の土地の一部を収用し、又は使用することによつて、残地の価格が減じ、その他残地に関して損失が生ずるときは、その損失を補償しなければならない。― 土地収用法 第74条
残地補償は、土地の一部収用に伴って残地に生じる損失を包括的に補償する制度です。価格の減少だけでなく、「その他残地に関して損失が生ずるとき」と広く規定されており、残地の利用に支障が生じる場合の損失全般が補償の対象となります。
条文上「同一の土地所有者に属する一団の土地」の一部収用が要件とされている点に注意してください。所有者の異なる隣接地に生じた損失は74条の残地補償の対象ではなく、別途の枠組み(いわゆる事業損失としての対応等)の問題となります。
残地に生じる損失の類型
残地に生じる損失は、主に以下のように分類されます。
| 損失の類型 | 具体例 |
|---|---|
| 形状の悪化 | 収用によって残地が不整形となり、利用効率が低下する |
| 面積の過小化 | 残地の面積が過小となり、建築や利用が困難になる |
| 接道条件の変化 | 収用によって道路への接面状況が悪化する |
| 日照・通風の悪化 | 隣接地に公共施設が建設されることによる環境変化 |
| 利用上の制約 | 残地の最有効使用が制約を受ける |
残地補償額は、概念的には次のように整理できます。
ここで $V_{\text{前}}$ は収用前の一団の土地のうち残地部分に対応する価値、$V_{\text{後}}$ は収用後の残地の価値です。残地の価値減少分を前後比較で捉える発想であり、鑑定評価では収用前後それぞれの状態を想定した評価が必要となります。
残地工事費の補償(75条)
74条の価値減少の補償と並んで重要なのが、75条の残地工事費の補償(いわゆる「みぞかき補償」)です。土地の一部の収用・使用によって、残地に通路・みぞ・かき・さくその他の工作物の新築・改築・増築・修繕、または盛土・切土をする必要が生ずるときは、これに要する費用が補償されます。
| 条文 | 補償の性質 | 内容 |
|---|---|---|
| 74条 | 価値減少の補償 | 残地の価格減少その他の損失 |
| 75条 | 工事費用の補償 | 通路・みぞ・かき・さく等の工事、盛土・切土の費用 |
74条が「残地の価値が下がった分」を金銭で填補するのに対し、75条は「残地を従前どおり使えるようにするための工事費」を填補するものです。両者は補償の性質が異なるため、条文番号とセットで区別して覚えましょう。
残地収用請求権(76条)
残地の価値が著しく減少した場合には、土地所有者は残地の収用を請求する権利を有します。
同一の土地所有者に属する一団の土地の一部を収用し、又は使用することによつて、残地を従来利用していた目的に供することが著しく困難となるときは、土地所有者は、その残地の収用を請求することができる。― 土地収用法 第76条第1項
これは、残地の利用価値が著しく低下し、従来の目的に使用することが困難となった場合に、残地の補償だけでは不十分であるため、残地全体の収用を求めることを認めた規定です。残地収用請求権は土地所有者の保護を厚くするための制度として重要な意義を有します。
要件は「残地を従来利用していた目的に供することが著しく困難となるとき」であり、単に残地の価格が減少しただけでは足りません。価格減少にとどまる場合は74条の残地補償で対応し、利用自体が著しく困難になった場合にはじめて76条の収用請求が認められる、という段階構造を理解してください。
その他の損失補償
通常受ける損失の補償(88条)
土地・物件・残地に対する補償のほか、土地収用法88条は、離作料、営業上の損失、建物の移転による賃貸料の喪失その他、収用・使用によって土地所有者または関係人が通常受ける損失を補償しなければならないと定めています。88条は個別の補償規定を補完する包括的な受け皿規定であり、営業補償・移転雑費・離職者補償等の実定法上の根拠となっています。
「通常受ける損失」とは、収用と相当因果関係にある客観的・一般的な損失をいい、被収用者の主観的・感情的な損失(愛着など)は含まれないと解されています。
営業補償
土地の収用に伴い、収用地上で営業を行っている者が被る営業上の損失も補償の対象です。営業補償の対象となる損失には、以下のものがあります。
| 損失の類型 | 内容 |
|---|---|
| 営業休止の損失 | 移転期間中に営業を休止することによる収益の減少 |
| 営業廃止の損失 | 移転先での営業再開が不可能な場合の営業権の喪失 |
| 営業規模縮小の損失 | 移転先での営業規模が縮小されることによる収益減少 |
| 得意先喪失の損失 | 移転に伴う顧客基盤の喪失 |
営業廃止の場合の補償額は、営業の収益性や将来の収益見込みを総合的に評価して算定されます。営業休止の場合は、休止期間中の収益減少額と固定的経費が補償の対象となります。
実務上は「廃止は例外、休止が原則」と整理されます。営業の場所的・法的な制約(法令上その場所でしか営業できない許可営業等)により移転先での再開が客観的に不可能な場合に限って廃止補償となり、通常は休止補償(休業期間中の収益減・固定的経費・従業員への休業手当相当額・得意先喪失の補償等)で対応されます。
借家人・借地人への補償
収用される土地に借地権が設定されている場合、借地権者にも補償がなされます。同様に、収用地上の建物に賃借人がいる場合には、借家人の移転に伴う損失も補償の対象です。
| 権利者 | 補償の内容 |
|---|---|
| 借地権者 | 借地権の消滅に対する補償(借地権価格に相当する額) |
| 借家人 | 移転に伴う引越費用、新規賃借に要する費用等 |
| その他の権利者 | 地役権、抵当権等の権利の消滅に伴う補償 |
借地権の補償額の算定においても、不動産鑑定士の評価が重要な役割を果たします。借地権価格は、鑑定評価基準に基づく適正な評価手法によって算定されます。
なお、69条の個別払いの原則により、土地所有者への補償(底地分)と借地権者への補償(借地権分)は各人別に算定・支払いされます。完全所有権の価格が借地権価格と底地価格に配分されるイメージで捉えると理解しやすいでしょう。
離職者補償
収用に伴い職を失う従業員に対しても補償がなされます。離職者補償は、被収用者本人ではなく、その事業に従事していた従業員の生活保障を目的とするものです。離職を余儀なくされた従業員の再就職までの期間に対応する賃金相当額などが補償されます。
替地補償(82条)
金銭補償の原則(70条)の例外として、土地所有者または関係人は、補償金の全部または一部に代えて、替地(代わりの土地)による補償を要求することができます(82条)。収用委員会は、替地補償が相当であり、かつ、起業者が替地を提供できると認めるときは、替地による補償の裁決をすることができます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 位置づけ | 金銭補償の原則(70条)の例外(現物補償) |
| 要求権者 | 土地所有者・関係人 |
| 実現の要件 | 収用委員会が相当と認め、替地の提供が可能であること |
金銭よりも「同等の土地」を得ることが生活・営農の再建に直結する場合を想定した制度です。要求すれば必ず替地が得られるわけではない点に注意してください。
移転雑費等
このほか、移転先の選定に要する費用、法令上の手続に要する費用、移転通知費・引越費用といった移転雑費も「通常受ける損失」として補償の対象となり、用対連基準の細目に従って積算されます。
事業の影響の排除
開発利益・事業損失の排除
損失補償の算定において極めて重要な原則が、事業の影響の排除です。補償額は、当該公共事業がなかったとした場合の正常な価格を基準とし、事業の実施に伴う地価変動の影響を排除して算定しなければなりません。
この原則は、71条が価格時点を「事業認定の告示の時」と定めていることと密接に関連します。事業認定の告示後は、公共事業の存在が地価に影響を与えるため、告示時点を基準とすることで事業の影響を遮断します。
| 排除すべき影響 | 具体例 | 排除の理由 |
|---|---|---|
| 開発利益 | 事業によるインフラ整備で地価が上昇 | 被収用者に不当な利益が帰属するため |
| 事業損失 | 事業計画の存在で地価が下落 | 被収用者が不当な不利益を被るため |
| 収用増価 | 収用の見込みにより土地の希少性が高まり地価上昇 | 投機的な価格上昇を排除するため |
具体的な排除方法
実務上、事業の影響の排除は以下の方法で行われます。
事業認定告示時の周辺地域の地価動向を分析し、当該事業の影響を受けていない近傍の取引事例を選択します。やむを得ず事業の影響を受けた取引事例を採用する場合には、事業の影響による価格変動分を補正します。
地価公示の標準地価格は、事業の影響を排除した正常価格として算定されているため、公共用地の補償額算定における有力な参考資料となります。地価公示法第9条は、土地の取引を行う者は公示価格を指標として取引を行うよう努めなければならないと規定しており、収用に際しても公示価格を規準とすることが求められます。
公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱と用対連基準
損失補償基準要綱(閣議決定)
土地収用法は損失補償の大枠を定める法律ですが、実務上の補償額算定にあたっては、より具体的な基準が必要です。そこで、1962年(昭和37年)に閣議決定されたのが「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」です。
この要綱は、各省庁が公共事業の用地取得にあたって統一的な補償基準を適用できるよう、補償の種類・算定方法・手続きを体系的に規定しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 制定年 | 1962年(昭和37年)閣議決定 |
| 目的 | 公共事業の用地取得における補償基準の統一 |
| 法的性格 | 閣議決定であり法律ではないが、行政実務上の拘束力を有する |
| 主な規定内容 | 土地補償・建物補償・営業補償・残地補償等の算定方法 |
用対連基準との関係
「用対連基準」とは、「公共用地の取得に伴う損失補償基準」の略称で、閣議決定の損失補償基準要綱をより詳細に具体化した基準です。用対連(用地対策連絡会)は、各省庁の用地担当部局で構成される連絡組織であり、この組織が策定した基準であることから「用対連基準」と呼ばれます。
用対連基準は、損失補償基準要綱の内容を補完し、各補償項目についてさらに詳細な算定方法や取扱基準を定めています。公共事業における用地取得の実務では、土地収用法と用対連基準を併用して補償額を算定するのが一般的です。
| 基準 | 位置づけ | 詳細度 |
|---|---|---|
| 土地収用法 | 法律 | 補償の大枠・原則を規定 |
| 損失補償基準要綱 | 閣議決定 | 補償の種類・算定方法の体系化 |
| 用対連基準 | 行政基準 | 各補償項目の具体的な算定方法 |
なお、平成13年の土地収用法改正により、収用委員会の裁決に係る補償金の額の算定についても、政令で定める補償基準(88条の2に基づく細目政令)によることとされ、任意買収段階の用対連基準と裁決段階の補償基準の整合が図られています。任意買収と収用裁決とで補償水準が大きく食い違わないようにする趣旨と理解しておくとよいでしょう。
補償額算定の実務フロー
公共事業における補償額算定の実務は、概ね以下のフローで進められます。
- 事業計画の確認 ― 収用の範囲・対象となる土地・物件を特定
- 現地調査 ― 対象地・物件・営業状況等の実態を調査
- 土地の鑑定評価 ― 不動産鑑定士が正常価格を算定
- 物件調査 ― 建物・工作物等の構造・規模・用途を調査し移転工法を検定
- 補償額の算定 ― 用対連基準に基づき各補償項目の金額を算定
- 補償額の提示・交渉 ― 土地所有者等に補償額を提示し任意買収を交渉
- 裁決申請(任意取得不調の場合) ― 収用委員会に裁決を申請
この一連の流れにおいて、不動産鑑定士は主として第3段階の土地の鑑定評価を担当しますが、残地補償の評価や借地権価格の評価なども鑑定士の業務範囲に含まれます。
補償金の算定における鑑定評価の活用
鑑定評価が求められる場面
土地収用における損失補償の算定において、不動産鑑定評価は以下の場面で活用されます。
| 場面 | 鑑定評価の内容 |
|---|---|
| 土地の補償額算定 | 収用対象地の正常価格の鑑定評価 |
| 残地補償の算定 | 残地の価値減少額の鑑定評価 |
| 借地権の補償額算定 | 借地権価格の鑑定評価 |
| 区分地上権の補償額算定 | 区分地上権の価格の鑑定評価 |
| 収用委員会の審理 | 収用委員会が裁決にあたり参考とする鑑定評価 |
求めるべき価格は正常価格
補償額算定の基礎となる土地の価格は、鑑定評価上の正常価格です。
正常価格とは、市場性を有する不動産について、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる条件を満たす市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格をいう。― 不動産鑑定評価基準 総論第5章第3節
71条の「相当な価格」=客観的な市場価値=鑑定評価上の正常価格、という対応関係を押さえておけば、行政法規と鑑定理論の双方の出題に対応できます。限定価格や特定価格ではなく、あくまで市場価値を表示する正常価格である点が重要です。
鑑定評価における留意点
公共事業の用地取得に伴う鑑定評価においては、通常の鑑定評価とは異なる特有の留意点があります。
事業の影響の排除が最も重要な留意点です。前述のとおり、当該公共事業の計画や実施に伴う地価変動の影響を排除した価格を求めなければなりません。取引事例の選択においても、事業の影響を受けた事例を安易に採用することは避け、影響を受けていない事例を優先的に選択する必要があります。
地価公示価格との均衡も重要です。地価公示法に基づき、公共用地の取得に伴う土地の評価においては、公示価格を規準とすることが求められます。鑑定評価の結果が公示価格と著しく乖離する場合には、その合理的な理由を明確にしなければなりません。
また、価格時点の特定にも注意が必要です。土地収用法71条に基づき、事業認定告示時が価格時点となるため、鑑定評価もこの時点を基準として行います。告示から相当期間が経過している場合には、当時の市場動向や取引事例を遡及的に分析する必要が生じます。
完全補償の原則と土地収用法の補償体系
完全補償説の意義
損失補償に関する判例で解説したとおり、最高裁昭和48年10月18日判決は、土地収用における損失補償について完全補償説を採用しました。すなわち、収用される土地の客観的な市場価値を完全に補償しなければならないという立場です。
この完全補償説のもとでは、71条の「相当な価格」は被収用地の客観的市場価値(正常価格)と一致しなければなりません。相当補償説のように、市場価格を下回る補償で足りるとする立場は否定されたのです。
補償をめぐる判例の流れ
「正当な補償」の意義をめぐる主要判例の流れを整理しておきましょう。
| 判決 | 事案 | 立場・判示の要点 |
|---|---|---|
| 最大判昭和28年12月23日 | 農地改革の買収対価 | 相当補償説。その当時の経済状態において成立することが考えられる価格に基づき合理的に算出された相当な額であれば足りるとした |
| 最判昭和48年10月18日 | 土地収用の補償額 | 完全補償説。収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償を要するとした |
| 最判平成14年6月11日 | 土地収用法71条の合憲性 | 昭和28年判決の定式を引用しつつ、価格固定+修正率という71条の算定方法は憲法29条3項に違反しないとした |
農地改革という特殊な歴史的状況下の昭和28年判決と、通常の公共事業の収用に関する昭和48年判決を対比し、さらに平成14年判決が71条の価格固定制を合憲と判断したという流れで押さえると、論文・短答の双方に対応できます。
補償金額に不服がある場合の争訟
収用委員会の裁決のうち損失の補償に関する不服は、裁決の取消訴訟ではなく、当事者間の訴訟(起業者と土地所有者・関係人を当事者とする訴え)によって争います(133条)。これは行政事件訴訟法4条前段のいわゆる形式的当事者訴訟の代表例であり、行政法規の試験でも頻出の論点です。
| 不服の内容 | 争訟の方法 | 被告 |
|---|---|---|
| 収用裁決そのもの(収用の可否等) | 抗告訴訟(取消訴訟等) | 収用委員会の所属する都道府県等 |
| 損失補償の金額 | 形式的当事者訴訟(133条) | 起業者(または土地所有者・関係人) |
補償金額の争いは、本質的には「いくら支払うか」という起業者と被収用者の間の利害調整であるため、行政庁を被告とする抗告訴訟ではなく当事者間の訴訟に委ねられています。なお、損失の補償に関する訴えは裁決書の正本の送達を受けた日から6か月以内に提起しなければならないとされています。
生活再建措置との関係
土地収用法は、損失補償のほかに、被収用者の生活再建措置についても規定しています。具体的には、収用によって生活の基盤を失う者に対する代替地のあっせん、職業訓練のあっせん等の措置です。
これらの生活再建措置は、金銭による損失補償だけでは被収用者の生活再建が十分に図れない場合を想定したものであり、完全補償の理念を補完する意義を有しています。
補償体系の全体像
土地収用法の損失補償体系を整理すると、以下のようになります。
| 補償の大分類 | 根拠条文 | 具体的な補償内容 |
|---|---|---|
| 土地の補償 | 71条 | 正常な取引価格に基づく補償 |
| 残地補償 | 74条 | 残地の価値減少に対する補償 |
| 物件の補償 | 77条〜80条 | 建物の移転料又は取壊し補償 |
| 営業補償 | 88条等 | 営業休止・廃止に伴う損失の補償 |
| 権利の補償 | 71条等 | 借地権・借家権等の消滅に対する補償 |
| その他の補償 | 88条等 | 移転雑費、離職者補償等 |
よくある質問と試験対策のポイント
よくある質問
Q1. 損失補償とは何ですか。損害賠償とどう違いますか。
損失補償とは、適法な公権力の行使(収用等)によって特定の者に生じた財産上の特別の犠牲を、公平の見地から社会全体の負担で填補する制度です。違法行為を原因とする損害賠償とは原因行為の適法・違法の点で区別され、慰謝料のような精神的損害は原則として補償の対象になりません。
Q2. 補償金はいつの時点の価格で計算されますか。
土地の補償金は事業認定の告示の時の相当な価格を基準とし、これに権利取得裁決の時までの物価変動に応ずる修正率を乗じて算定します(71条)。裁決時の時価そのものではない点に注意してください。
Q3. 補償額に納得できない場合はどうすればよいですか。
収用裁決のうち補償金額への不服は、起業者を相手方とする形式的当事者訴訟(133条)で争います。収用そのものへの不服(取消訴訟)とは争訟ルートが異なります。
Q4. 収用の補償金に税金はかかりますか。
収用等により土地を譲渡した場合には、租税特別措置法上、代替資産を取得した場合の課税の繰延べや、譲渡所得から最高5,000万円を控除できる特別控除の特例が設けられているとされています。適用には一定の要件があるため、詳細は税務の専門的確認が必要です。
Q5. 借家人にも補償はありますか。
あります。借家人は土地収用法上の「関係人」として、移転に伴う引越費用や新たに賃借するために必要となる費用等の補償を受けられます。補償は69条の個別払いの原則により、家主とは別に各人別に行われます。
出題ポイントと暗記のコツ
短答式試験で問われやすいポイントを、ひっかけパターンとともに整理します。
| 論点 | 正しい知識 | ひっかけパターン |
|---|---|---|
| 価格時点 | 事業認定告示時+修正率 | 「権利取得裁決時の価格」とする誤り |
| 補償義務者 | 起業者 | 「国」「収用委員会」とする誤り |
| 補償方法 | 金銭補償が原則・替地は例外 | 「替地が原則」とする誤り |
| 建物補償 | 移転料補償が原則 | 「建物価格の補償が原則」とする誤り |
| 残地収用請求 | 従来の利用目的に供することが著しく困難なとき | 「価格が減少すれば常に請求可」とする誤り |
| 補償額の争訟 | 形式的当事者訴訟 | 「取消訴訟で争う」とする誤り |
条文番号の暗記には、「68起業者・69個別・70金銭」→「71土地・72使用」→「74残地・75工事・76残地収用」→「77移転料・78・79物件収用」→「88通常損失」という条文の並び自体をストーリーとして覚える方法が有効です。「土地(71)→残地(74)→物件(77)」と3つ刻みで主要条文が並ぶ点もリズムで記憶しやすいでしょう。
論文対策としては、(1)憲法29条3項の「正当な補償」→(2)完全補償説(昭和48年判決)→(3)71条の価格固定制と平成14年判決の合憲判断、という流れを一連の論証として書けるようにしておくことが重要です。
まとめ
土地収用法における損失補償は、土地の補償(71条)を中核として、建物等の物件補償、残地補償(74条)、営業補償、借地人・借家人への補償など、多岐にわたる体系を構成しています。
試験対策として特に重要なポイントは以下の通りです。
- 71条の「相当な価格」は正常な取引価格を意味し、完全補償説の立場から被収用地の客観的市場価値を完全に補償するものであること
- 価格時点は事業認定告示時であり、権利取得裁決時までの物価変動修正率を乗じて調整すること
- 起業者補償・個別払い・金銭補償の3原則(68条〜70条)がすべての補償の土台であり、替地補償(82条)は金銭補償の例外であること
- 事業の影響の排除が補償額算定の大原則であり、開発利益・事業損失いずれも排除すること
- 建物補償の原則は移転料補償であり、取壊し補償は移転困難な場合の例外であること
- 残地補償(74条)・残地工事費補償(75条)・残地収用請求(76条)は要件と効果を区別して整理すること
- 補償金額への不服は形式的当事者訴訟(133条)で争い、取消訴訟とはルートが異なること
- 用対連基準は閣議決定の損失補償基準要綱を具体化した実務基準であること
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